その日はきました。家族からの愛…
90歳両親のくらし
- 2020.07.29
- ふと考える

長雨が続くと、用水路が上を通っている会津の両親が気になります。
90歳の両親は健在で二人で仲良く生活しています。
父はこの3月に心配していた運転免許をようやく返納し、代わりの電動自転車で動き回るようになりました。
80代は、まだ元気な感じでしたが90に入るとガクッと老いた印象になってきています。
どちらかというと母の方がまだしっかりとした話し方ですが、父の方は「あー」「うー」が言葉の間に入るのが多くなってきています。
田舎ですので、車がないと困ることが結構あります。
・親戚の家を訪ねられない(田舎にある)
・ホームセンターで大きなモノが買えない(ホームセンターが遠い)
・大好きな山菜採りに行けない(毎年楽しみにしていた)

父は公務員で、早出遅出はありましたが夜中まで仕事で帰ってこないということはなく、夕食の時間には必ず居たような記憶しかありません。
引退してからはパソコンで加入している色々な団体の名簿や議事録などを作成していました。今もグラインドゴルフの日程や試合結果をまとめて皆に配っているようです。
米寿の祝いの時に、タブレットをプレゼントしたら思いの外大喜びでした。新しモノ好きのようです。先日も使っているwindowsの動きが重くて使えないから、別なモノを探して欲しいと頼まれたので、ねっとで中古のノートを見つけてプレゼントしました。
しかし、物覚えが悪くなっていてLINEを設定して使い方を教えてはあるのですが、1週間も既読にならないことがよくあります。
母は、気位の高いまじめな性格でごく親しい人としか談笑しない、他の人から見ればとっつきにくい人です。詳しい経歴を聞いたことはありませんが、断片的な記憶によると、祖母の「女も技術を身につけるべし」というアドバイスで看護士になるべく勉強していたようですが病院へ勤めること無く、洋裁を習得して結婚し内職でご近所の洋服を作っていました。
母の姿で一番多いのは、畳に広げた生地を切っている姿か縫っている姿でした。
90になっても歩けて、食べられて二人で生活しているのですから大したものです。お互いに耳が遠くなって話がかみ合わないと母が諦め、父は聞こえない自分に腹を立てていることもありますが、おおむね仲良く暮らしているのが安心させてくれます。
日常の買い物は、近くの地元スーパーへ行っていますが、重いものや大きいモノは持って来られないので、顔を出したときに買ってきます。
困るのは冬で、路面が凍ることが多いので滑って怪我をするのが心配です。実際数年前、母が冬の路面で転倒し頭を打ちそれから行動がおかしなことになり、父から連絡を受け病院へ連れて行き診察してもらったところ、脳内で出血があって脳を圧迫しているとのことで手術を受けて、回復したという過去があります。
車が無いとなかなか大変な田舎の生活です。
私が育った30年代は、合成甘味料に始まるケミカルなものを食してきましたからこんなに長生きはしそうにありません。
子どもは私たち兄弟二人なので、最近は申し合わせたように以前より頻繁に実家へ顔を出すようになってきました。帰る度に老いていく親を見るのは何とも言葉に表現できないもどかしさを感じます。
長男であるにも関わらず、私は好き勝手に生きてきましたが両親は「戻れ」とは一言も口にしません。田舎では仕事もないので言い出すべくもないのでしょうがそろそろ、何かを考えるべき時が来ている予感がします。
諸行無常

-
前の記事
「乗り物派」はいつまでも乗り物。 2019.10.24
-
次の記事
院内感染(骨髄炎)に光が見えた 2020.09.09