土曜日は花チラシの雨、風で作業…
昔を知りたくなったらジジイです。
- 2023.03.20
- まんざらでもない暮らし
歴史好きな輩は多いと思いますが、そこから段々と身近な歴史に興味を持ちはじめてお盆の時などに墓石の年代などを丹念に見始めると、昔のことが気になってきます。
記憶にない昔のアルバムに映る自分に興味津々。そこはどこ?あなたは誰?
母が亡くなったのをきっかけに少し興味を持ちだしたのでその噺を少し。
2歳の私は誰とどこにいるのですか。
昔も見た記憶があったのですが気にもかけていませんでした。
母が亡くなり、父も記憶の問題があって住み慣れた家を離れたため雑多なものの整理を始めた中から下の写真を見つけて急にここはどこなのかという興味が湧いてきたのです。
父達は新婚当初、職場に近い(徒歩3分)所に間借りをしていました。川の側にある2階建ての2階を全て借りて暮らしていたようです。
この場所へいってみたい。
石碑なんだから今も残っているはず。と思い、GoogleMapで空から偵察です。父達が住んでいた借家のあたりを見てみます。(中央の川の右側がその辺り)
らーめんで有名な街の北エリアが目的地周辺なのですが、当時と建物の位置が変わっていますが「川」はそのまま残っています。
私が生まれた病院も川の側にそのまま残っていましたが、木々の辺りを拡大してみたのですが肝心の石碑のようなものは判断できませんでした。間違いなくこの辺なので、自転車で散策するしかなさそうですがここからは80kmの距離なので踏ん切りがつきません。
喜多方市「●藤亀次郎」とは誰ですか。
二人がいる石碑には「?藤亀次郎」という文字が読めます。功績を記念しての建立でしょうから簡単に壊してはいないと思うのですが、なんだかすでにそこには無いような気がします。
ネットは「検索」してなんぼ。ですので「藤亀次郎」で検索します。
江戸時代の学者「添川廉斎」(そえかわれんさい)だそうで、かの新島襄の師だった人らしい。
染屋の息子との情報があり今でも「京染め●●」とう看板があるので、この地出身で石碑もこの辺りにあったと考えられる。
検索で出てきたPDFは地元の会報で詳しいことは記載されていないが、その中に「碑は寺町の愛宕神社境内」との一文を見つけた!
新しく作り直して違う場所に移動したらしい。確かめてはいないが本当だったらザンネンだなー。写真の場所に残っていてほしかった。60年も経つのだからそれはしょうがないけど思い出がひとつ無くなってしまいました。
美代チャンお元気ですか。
父の記憶によると、この女の子は借家の1階に後から越してきた同じ職場の家族らしい。
「美代子」ちゃんとのこと。
借家は川の側なので、場所を変えて河原へ降りて撮影したようです。この河原では小中学とよく遊びました。
美代チャンの右奥には私が生まれた病院が映り込んでいるし、橋も見えています。
昭和32年頃(1957年)だと思うけど、大昔の写真にみえる。父はニコンの重い皮カバーの一眼レフを持っていて他にも私たち兄弟をよく撮影していたようで多くの写真が残っています。
残念ながらこの時の記憶細胞は消滅しています。美代チャンの消息は知るよしもありませんが写真から年の差を6歳ぐらいとしても存命である可能性が高い。本当に会ってみたいです。
美代子さん、お元気ですか。
Sです。当時の記憶はありませんがよく遊んで頂いたようで、父の話と写真からそれがうかがえます。自宅を建ててからは疎遠になってしまったようですが、お元気でお過ごしでしょうか。
多様化だの個人情報だのと面倒くさいことばかりですが、こんな写真を見ると過去の世界が一層キラキラして見えてしまいます。
まだセータを着ているし、美代チャンも少し厚着なので季節は3月頃でしょうか。河原の石が春の陽に暖められて下半身が温かく感じます。肩に置かれた手にも姉弟(他人ですが)のぬくもりが伝わりました。
いつまでも、お元気で幸せに暮らしていてください。
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