「しょぎょうむじょう」を感じる…
夏休みの思い出 [小学篇]
- 2020.07.15
- まんざらでもない暮らし
今年90歳の両親の実家は農家で、夏休みは両方の家を訪れて数日を過ごすのが毎年の習慣でした。小学生の私は、住宅地を離れて緑豊かな違う環境の田舎に行くのが楽しみでしたが、1日目の夕方のヒグラシが鳴く頃にはホームシックになってよく泣いて叔父や叔母をこまらせていました。
当時、母の実家は30、40件ほどの村にありバスを降りて子どもの足で30分ぐらい歩いたところにあってずいぶん山の中だと思っていました。蝉時雨の林の中を蛇を見つけたり川に入ったりしながら、だらだらと歩き田んぼが見えてくると入道雲の下に村が見えると安心したものです。
家に着くと、山水で冷やしたサーダーが瓶1本そのまま出てきて火照った体に染みこみおいしかった記憶があります。台所に山から引いている水が常にちょろちょろと音を立てていて古く暗い家でしたが夏は涼しく心地がいい空間でした。
実家には牛、うさぎ、にわとり、ヤギがいたのですが毎夕方にヤギの乳を暖めて飲んでいました。濃厚で少しクセのある味でしたが私は好きでした。
ある年、明日お参りするお墓の掃除に行こうと年下の従兄弟に誘われて、お寺に向かったのですが、そのお寺が家の裏山の頂上にあるところで、かろうじて土の階段のような足がかりがあるような急勾配を這うようにして、かなりの距離を登ってたどり着きました。
※懐かしくなってグーグルマップにあるのか確認したらありました↓
お寺の子どもも丁度同じような年齢で、お墓の掃除など忘れてセミ採りや木登りなど時間を忘れて墓地の森で遊び、疲れると村が一望できる本堂の階段に座って遠くの山に沈む夕陽をまぶしく眺めたりしていました。
母の実家から少し離れた村に、叔母が住んでいたのでここにも夏休みに泊まりに行って色々な遊びをしました。
4歳年上の従兄弟がいたので、彼に連れられて初めて川にカジカを突きに行って水中眼鏡で見た水中は息をのむほどきれいでした。カジカが水の流れに負けないよう石の下にへばりついているところを、ヤスで突くのですがカジカの顔が怖くておっかなびっくりなので、なかなか命中しないでいました。
従兄弟達は取った魚を、たき火を使って素揚げにして食べていましたが私は顔が怖くて食べられなかったものです。
もうひとつ、従兄弟がやっていたことでびっくりしたのは夕方道の脇の草むらに行き耳をそばだてます。
いろんな虫の音が聞こえるのですが、ひときわ大きく鳴く「キリギリス」の位置を見定めて、さっと草の上から押さえつけて捕まえるのです。さらに、麦わらで編んだ自家製虫かごに入れて鳴き声を楽しんでいました。
カゴまで自家製とは驚いた記憶があります。
書いているうちに記憶がもどってきました。もうひとつ。
「とりもち」です。
従兄弟は当たり前のように使っていたのですが、私たち兄弟にははじめて見るモノでした。それは水の中に漬けてある白っぽいベージユ色のそばがきのような固まり。
一片をちぎって竹棒の先に少し付けて、3秒も静かに立てておくとトンボが止まり、「とりもち」のベタベタに捕まって動けなくなるのです。今度はクワガタを見つけて手の届かないところでも、「とりもち」の付いた竹棒であっさり捕獲してしまうのでした。
しかし、うっかり素手でとりもちを触ってしまうとベタベタがなかなか取れなくなるほど強力でした。
私の原風景
母の実家、父の実家には冠婚葬祭でもなかなか行く機会がありませんでしたが、大人になってからは、ドライブやツーリングの定番コースとしてよく行くようになりました。
かなり田舎なので何十年経っても、かわらない風景を見ることができ安心できる場所になっています。村おこしで賑わっても温泉施設ができていても基本的なところはまったく変わっていません。小さな山間で県境からの雪解け水が清流をつくり、緑の水田を潤している所。
小学生の自分に会える場所としていつまでも残って欲しいと願います。
【2020.08.13】免許を返納した父を連れて数十年ぶりで、母の実家へ墓参りに行ってきましたので、関係写真を追加しておきます。
-
前の記事
Wi-Fiルーターをレンタルします 2020.06.09
-
次の記事
骨折のプチ湯治 2020.09.06