ふるさとの味をもとめて

ふるさとの味をもとめて
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喜多方市(福島県)に仕事で行ってきた。
生まれ故郷を訪れるのは忘れていた記憶がぽっと出たり、街の変化で感じるものがあったりで頭の中が過去と現在を行ったり来たりして活き活きとする。
予定通り午前中に仕事が終わったので、久しぶりに「まこ●食堂」でらーめんでお昼にしようと店へ行ってみる。

すっかり油断していました

雨の火曜日午前11時。駐車場がいっぱい。
気を取り直して、離れたところに駐車して傘を差して歩いて店の扉を開けた。
座敷の方では無く、昔からの椅子席側を開けたが満席。座敷へ案内される。
平日の早い時間だし、落ち着いた感じの雰囲気でもあるし寂れた感じに見えなくも無い。店の方の平均年齢が高めなのがわかる。

4人用のテーブルにひとり案内され着座する。
ぬるっとするテーブルの上には、落書きのようなA4サイズのメニューと胡椒などの調味料が寂しく置かれている。
エネルギーの消費が少ない年頃になってはいるが、喜多方らーめんは量が少ないので「大盛り」を頼んだ。座敷もまったく変わっていない。軍服を着ているご先祖の写真がこちらをむいているし、有名人の写真や色紙が鴨居のなげしにお札のように飾られている。
「レンゲ、お使いください」と主役のらーめんがまだなのにレンゲがなんと、こどものおもちゃのようなプラかメラミンのどんぶりにぽつんとひとつ。カラカラと乾いた音がする。
ぎょっとしたが、田舎っぽくていいのかな?と納得させた。

「ちょっと遅いかな…」と思ったところに運ばれてきた。
まずは、スープを頂こう。例のレンゲを使ってスープをすくって口に運ぶ。ひとつ、ふたつ。

疑問が残るが、気を取り直して麺を麺をいただこう。料理のことはよくわからないが伸び気味な麺…


「何だこれは…」
「大盛りにしたから配合を間違えたのか…」
「スープが薄い!」
「ああ、それにそれにチャーシューが薄い!」
「貧相なチャーシュー」
「きっと、日本一薄いチャーシューだ。」
「こんなんじゃなかったのに!」

「こんなんじゃ、なかったー!」

※これはイメージ写真

話を少し戻そう。

私の生まれは「喜多方市」。「まこ●食堂」の東側には「田付川」(たずきがわ)が流れていて上流には月見橋があり、川下には幸橋がある。昔、遊郭が近かったこの辺りのことを考えると、風情がある橋の名前をつけたものです。
月見橋のすぐ上流にも橋があり、川沿いの道を北へ行くと教会があってその辺りに高校まで過ごした実家があった。客が来ると母はよく、今は無き「あべ食堂」かららーめんを出前してもらっていた。(昭和30年〜40年代?)だから大袈裟に言ってしまえば、喜多方らーめんを産湯にしたと言ってもネタとして笑って頂けるだろう。

喜多方らーめんの味が染みついている私の舌が「違う」と反応したのです。
食べながら、何度も自分が間違っているのではないか。老人性味覚障害になり舌がバカになってしまったのではないかと自問自答しながら、食べ進めながら変わって欲しくないという想いが強くなって食べ終わる頃にはさみしさで一杯になってしまった。
店主にどうこう言うなどおこがましいし、評価サイトに感想を書いて共有してもらうのも違う気がするので自分自身でこの出来事を消化するためだけに文字を打ち込む。

味なんてしょせん好みですよね。

この味が好きな人も多いんだから、いいんじゃないですか。記憶の味と少し違うというだけなんです。
この世に永遠なモノやコトは何一つ存在しないのですから。味が変わってもそれは至極普通なこと。

歳月不待人

時の流れは、あなたなんかを待ってはいない。今を楽しみなさいよ。

行雲流水

らーめんの味が永遠に同じであることはなく、変化し続ける。昔の味に執着せず他の店を探しなさい。


ふるさとの味を確認できる場所であった「あべ食堂」が2022年に廃業して、本日「まこ●食堂」の味が記憶とかけ離れてしまい、とうとうヨリドコロがなくなってしまった。
3年前に生家が無くなり、そしてこれかぁ…


もう喜多方を訪れる理由は墓参だけになってしまいました。
気を取り直して申し上げますが、「喜多方ラーメン」がまずくなった訳ではありません。小さい頃にきざまれた私の味の記憶と同じものが無くなっただけなので、「喜多方ラーメン」は旨いのです。
一平はせ川喜一などなど変わらず営業中ですので、ぜひ変わらずおいでください。
昔を引きずりがちなジジイの愚痴になりましたが、皆様、楽しい週末を。