会津への峠がまだあるのですが、…
裏磐梯からふるさとへ
9月に入れば残暑といっても知れたもの。ましてや高原へ向かうとなると暑さは気にしなくていいレベル。
今回は輪行を考えたのですが、交通費がお高いので「車+電車」にしました。
「道の駅いなわしろ」まで、軽トラに積んで行きそこから裏磐梯経由で喜多方まで下って、喜多方駅から猪苗代駅まで輪行するという経路です。
軽トラにリボルトを積んで出発です。
7:10
市内は朝霧に包まれていましたが、郊外にさしかかると霧が晴れるように青空が見えてきてわくわくします。
会津側に出ると、こちらはまだ朝霧に包まれ眠っているような穏やかさ。道の駅に着く頃には、気温の上昇と共に素敵な青空が迎えてくれます。
道の駅で写真を取ったつもりでしたがありません。
8:20
檜原湖までは約20kmぐらい。ほぼ登りですがそんなにキツそうな数字でも無かったので初挑戦です。
この道は、何十回通ったかわかりませんが自転車で行くのはたぶん2回目です。
裏磐梯でアルバイトをしていた頃に、ホテルのママチャリを借りて猪苗代町まで行ったのが最初です。あれからン十年、いろいろな思い出を回想しながら回します。
静かな裏磐梯
そこそこ時間が掛かりましたが裏磐梯に到着。
9:50
夏の終わり、もう秋だからでしょうか檜原湖の遊覧船乗り場は人が数人程度。ロード乗りは私だけです。湖からの涼しい風に少し当たって、クルーダウンして裏磐梯道の駅へ向かいます。
檜原湖で気を抜いたせいか、少し辛くなっていますがアップダウンを繰り返して大きな登りをやっつけると丁度向こう側からもローダーが体温のもやもやをたてながら登ってきました。
お互い目で挨拶して、それぞれの下りへ降りていきます。すると後方から「ひゃっほー!」という叫び声がこだましてきました。(^_^)
10:20
裏磐梯道の駅 着。
ここにも自転車は無し。オートバイはかなりの数です。
まだ湿った草の日陰に陣取ってソフトクリームで一息です。ソフトクリームの冷たさが夏じゃないことを意識させてくれます。残したかったのですが我慢して完食しさっさと喜多方へ。
少し登るともう喜多方までの下り道。もう登りはありません。
このスノーシェッドはバブルの頃に撮影したところ。当時の新しさは無くずいぶんと色あせてしまいました。
ボクの遅い夏
11:30
喜多方市内に到着。ここから少し「ボク夏」的な思いで巡りです。
両親が喜多方を離れて、若松に移ったのはもう30年も前。それからゆっくりと喜多方へ来ることは無くなってしまったけど、今回は自転車なので駐車場を気にしないで思うままに昔を振り返ります。
陽水の「少年時代」をBGMにスタートです。
この川は、家から3分。当時は上流に製紙工場があって川の左側は工場の排水で汚かったのですが、右側は所々清水が湧き出ていてきれいな流れでした。
護岸工事は最近のもので、少し前までは自然の土手になっていて川沿いには大きな桜の木が何本も並んでいてすばらしくいい場所だったのです。そう、蛍もいました。
右手の奥に実家がありました。川がきれいになっている。
左へ行くと上の写真の橋にでます。
見切れていますが、右側の対岸は小学校で忘れ物をした時は川の中をジャブジャブ渡って家まで戻っていました。ガードレースは無くて、土手を降りてすぐに川へ入れる身近な遊び場です。
まだ川で遊ぶ子どもがいてびっくり。有名な「まこと食堂」は奥の橋の右手です。
50年前は、清水が湧くところに「トゲウオ」がいて捕まえていましたが、最近は巣を作る魚として天然記念物にな魚としたようです。もう、ここにはいないと思います。
家から川と反対方向へ5分ほどにある「出雲神社」。あまり変わっていないけど、木が大きくなって薄暗くなっていました。いい遊び場だったのですが今は子どもを見かけません。
夏祭りがあるときには、境内に出店が出たり、夜にはチャンバラ映画を上映していました。昭和だな。
左手奥へ行くと、墓地があって抜けると駄菓子屋に出ます。
駄菓子屋。まだ店のカタチが残っているので営業してるのかもしれません。奇跡ですね。
家の近くにもあったのですが、ここの駄菓子屋は本格的なイメージ通りの店でした。冬は子ども相手に自家製「おでん」を売っていたのですが、その卵と汁のマリアージュがすばらしく素敵でした。
いまでも、ここのおでんが忘れられません。(^_^)
駄菓子屋の前にある「満福寺」。
お堂の前が遊び場で、駄菓子を食べながら小学高学年近くまで走り回っていました。ここは隣の町内なので小さいながら、少し遠くに来ている感があって大人になった気がしていました。
市営のひばりヶ丘球場。
写真奥が例の川です。家から15分ぐらいのこの当たりまで来ると、すぐ林や森で虫採りのいい所でした。
印象深い思い出は、商店街の抽選で「遊覧飛行」が当たってこの球場にヘリコプターが来て当選者を乗せて5分ぐらい飛行したこと。その時は二人だけというので弟と母が乗って飛行したのを羨ましく見ていました。
あの時のヘリのエンジン音がよみがえります。
一部抜粋して遅い夏の「ボク夏」を廻りました。
感傷的な晩夏には「電車」が似合いますね。
磐越西線は高校の頃まで、蒸気機関車が走っていました。丁度この日、毎年数回走るC-17がたまたま駅に着くときでしたが、私ははじめての輪行バッグと格闘していたので見られませんでした。
「ぽぉおおおおおお!」という出発の音を聞いただけでした…
さよなら。
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