親の家の処分

親の家の処分
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両親が高齢になって私の街へ引っ越して3年。父が引退後に建てて暮らしていた家を傷まないうちに売却しようと思い、弟と二人で片付けを始めたのが2023年の6月。
ここから現地までは、車で約1時間。近いといえば近いのですが毎週末にかようとなると遠く感じてしまいます。

2階建て4LDKの片付け。初夏スタート。

自分たちで片付ける前に、業者さんに見積もりをお願いしたのですが数十万円とのこと。高くはありませんでしたが知らない人に、ゴミにされることを考えると心が傷んだので自分たちで時間を見つけて整理することにしました。

まず、押し入れや洋服ダンスの中身を整理して家具などを搬出。次は物置や車庫内を片付けるという流れ。父は長年公務員の事務職だったので仕事で身についた書類の保存量がものすごい!
町内会や生協関連、はたまた結婚前からの手紙や年賀状類まですべてがご丁寧に保存されています。おまけといっては失礼ですが、棚などの木工工作作品もいたるところにあってその解体に骨が折れました。
それから、洋服です。母は質素でしたが父はお付き合いがあったためか、スーツの量がお店ほどあったのですが、スーツって重いのですね。両手に3着ずつ持って動くと息があがります。スーツだけで50着以上段ボールやゴミ袋に詰め込みました。
折しも初夏になった頃でしたが、夏が思いやられる片付け作業でした。

質素な母も、というかその時代の人たちは皆そうだったように「捨てる」ということをせずに使わないものでもタンスの奥に仕舞い込んだものが多々ありました。未開封の洗剤は売るほどその場所から出てきましたし、ハンドタオルやバスタオル、シーツは積み上げて整理したのですがそのタワーが何本にも及び部屋が暗くなるほど。
使えそうなもの、趣味に合うものは兄弟やその妻達の格好の標的でしたが持っていける量は微々たるものでした。もったいないとは感じましたが片付け作業が中断されるので、淡々と作業するようにしていました。ああ、食器も相当ありました(重い)

どう処分したか。

さて、これらのものをどう処分するか。
平日に市のゴミ処理場へ持ち込むのがいい考えのように思いましたが、無料である分これがけっこう大変なのです。燃えるゴミ、資源ごみなどに分けなければならないのですが紙類の中にファイルのプラやバインダーのようなものが入っていると資源ごみではなく燃えるゴミになってしまいます。
資源ゴミのエリアに行ってOKをもらったものはそこに捨てて、だめなものは燃えるゴミエリアへ移動して捨てるという暑いさなかになかなか面倒な移動でした。

大きな家具、ソファ類はレンタルトラックを1日借りて、平日に休んで市のゴミ処理場へ持っていきました。やはりそこでも家具についているガラス類や金属は取り外して別ゴミエリアへ持っていきます。
そうして何度か運ぶうちに「平日は都合がつかない」「仕分けが面倒」ということになり、民間の資源ごみのリサイクルをしている業者さんを見つけ、分別無しで何でもかんでも一緒にして捨てることができるようになったため格段と作業が楽になりました。
その業者は、父の家がある市から私の住む市の間にあるので軽トラに積めるだけ積んで帰りにそこへ持ち込むというローテンションができあがり、土曜日はそこへ持ち込んで、日曜は一旦自宅へ持ち帰って月曜の朝に、その会社に持っていくという流れで処分。何度運んだのか記憶にありません。

週末の作業で4ヶ月。初秋に完了。

小さな庭の植栽や物置などの外回りも含め、暑さが和らいだ頃に大体の作業が終わり、荷物で溢れていた部屋が広々として生活感が無くなりさみしくなってしまいました。
弟や私の子ども達が毎年のように夏休みなどに滞在したり、親戚が集まったりしたことが「とおーーい」記憶になり、思い出すこともなくなりそうです。

最後に弟と二人で、部屋を掃除し外回りをきれいにして鍵をかけ、この家が売れるまでは月一回ほど風通しに訪れるぐらいになります。

思いがけず早く売れました。

使えるだけの人脈を使って、複数の不動産業者に販売を委託しました。
査定で約●00万円。ほとんどが土地代で家屋はゼロ査定。一番のネックは、駐車場が1台分しか無いところでちょっと致命的な要素です。
不動産業者で買い取る場合はリフォーム費用を差し引いて約●00万円とのこと。秋から販売で2024年春までは様子を見てどうしても売ればい場合は、不動産業者に売る予定で進めました。

年が明けて、そろそろ暖かくなりそうな3月。不動産業者に売る相談をしているころに購入者が現れて先日無事に売買契約が終わったところです。

これで会津に来る機会がぐっと減ってしまうことになります。

諸行無常の中でもがく人。

帰る実家がなくなってしまい、少し感傷的になってしまいました。
形あるもの、形ないもの全てが常に変化の中にある。命がつながっていく。たかだか80年の命の小さなバトンタッチが途切れることなく続いて私がここにいます。
環境に翻弄されながらちっぽけな虫けらが懸命に生きて死んでを繰り返し人混みにもまれながら時を重ね朽ちてゆくのですね。