父を見送る

父を見送る
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94歳老衰の大往生。
2025年5月父を見送りました。2022年11月に母を見送ってから3年、ふたりとも長生きをしてくれました。
長らく親がいて当たり前、長い休みは実家へ帰省するということをなんの疑問も持たずに繰り返していましたが実家は処分したのでもう帰る実家はありません。この年になって居るはずの人が居ないという不思議な感覚に戸惑っています。
話しかけてきそうな写真を見ながら「あー居ないんだな」と実感するのでした。

5時半には家に居た父。

他人の親父の話を聞いても面白くないとは思いますが、父は公務員でした。勤め先は家から徒歩5分ぐらいの場所だったので夕方、遊びから帰ると着物に着替えた父がちゃぶ台に向かっていた。
その頃、酒は飲んでいなかったし幼稚園になるまでテレビはなかったし、どうやって過ごしていたのだろうか。

勤め先が近かったので、雨が降ると母に傘を持っていくように言われ裏の通用口から石炭カスがひいてある水たまりの路地を通って父を呼び出して傘を渡した。何故かふたりとも照れていた。

顔立ちが外人っぽい父

大学入学。車で埼玉まで行く。

大学への入学が決まり、家を出る時に父は数年前に買った軽自動車(スズキ)で埼玉の寮まで送ってくれた。二人だけの車内で何を話したのか記憶にないが、高速道路がない時代に砂利道の多い国道を運転したのだ。お昼に関東のラーメンを食べてまずかったのだけ覚えている。
子供心に帰りの父が心配だったが、その記憶ももう薄れてしまいました。今考えると当時40代後半だったのか、若かった。

老いる父との距離。

母の手術をきっかけに、そろそろ体も効かなくなるからと説得して、会津から私たち兄弟が住む街の施設へ夫婦で入居したのが2022年の春浅い頃。生まれた時から住み続けた会津を去るのは辛かったとは思うがいたしかたない決断でした。
数ヶ月でコロナの中母が他界し、そこからは父の一人ぐらしがはじまりました。
少しずつ記憶が曖昧になることはあったが、最近まで食事、洗濯、近くのコンビニへの買い物など一人でできていた。
顔を出すと、昔の仕事の話が止まらなかった。組合運動のこと、後輩や先輩のこと。自分は「事務屋」だと自称し、常に何か書き物をして捨てずに保管しておくことが身についてしまっていた。

思春期から還暦過ぎまで密な関係ではなかった二人が、ここにきて色々と父の深いところまで知ることになってちょっとしたプレゼントのような感じがしている。
幸せな人生だったのか、思い残すことがあったのか知る由もありませんが今はいません。

購入した「家具調仏壇」に手を合わせる朝。いつもながら、ぎごちなさを感じつつ二人の写真を見る。仏壇とどう接していいのかわからないのだ。
単に、物に手を合わせているようで落ち着かない。日常の中でふと、父母を思い出したときの方が実感が感じられる。宗教はいらないかもしれないと思うのは私だけだろうか。
南無。